「切り口」発掘力

小学生でもAIを使えばコンテンツが作れる時代になった。ありきたりのテーマ設定では、コンテンツの存在意義を生むことができない。独自の鋭い切り口で文章を書く必要がある。

凡庸なテーマ設定の寿命は尽きた

AIが無限に量産するのは、既存のテンプレート構造に沿った「平均的な記事」である。つまり、検索上位に並ぶような無難な切り口では、差別化では不可能。例えば、従来型の「◯◯とは」「メリット・デメリット」「初心者向け解説」といった構造だけでは、SEO競争の土俵にすら立てない。大切なのは、斬新なテーマを設定し、独創的な角度で分析し、語る力だ。

「短文化」する力

AIの文章は冗長だ。繰り返しが多い。従ってAIと差別化するには、必ずコンテンツを短文にまとめる必要がある。

長文の価値が「0円」

ChatGPTなどの登場によって、文章生成の経済的価値は「0円」に限りなく近づいた。 ダラダラ長い文章が氾濫する時代だ。 エッセンスを端的にまとめ、短い文で読者の脳に一発でぶちこむ力のほうが、遥かに意義深い。

思考の純度を高める

短文化というと、多くの人は「文章量を減らす」作業だと誤解する。 しかし本質は逆で、削る行為ではなく本質だけを残すために論点を整理し、濃縮する行為である。

言葉数を減らすためには、まず自分が何を伝えたいのかを寸分の迷いもなく特定しなければならない。つまり、短文化とは“思考の曖昧さを許さない訓練”であり、文章技術というより思考技術そのものに近い。

短文化こそ、AIの「逆張り戦略」である

AIは常に冗長になる。 長く書いたほうが優れていると勘違いしているからだ。 ChatGPTなどのチャットボットの長文回答は、一見すると情報量が多く便利に見える。 しかし、その実態は「似たようなことを、もっともらしく繰り返している」だけに過ぎない。

チャットボットの長文回答から本質を抜き出す

長文回答から本質を抜き出さなければならない。 AIに生成させた文章は、9割以上は捨てたほうがいいだろう。

AIの嘘を見抜く

AIは頻繁に事実を捏造する。事実誤認が多いだけでなく、フィクション小説を書くような感覚で、確信犯的に虚偽をでっち上げる。「突っ込まれたら謝って訂正すればいい」くらいに思っており、物事の真偽に対する責任感はゼロだ。

常に大炎上のリスク

AIが大量に生み出す嘘を見抜かけず、そのまま自分のコンテンツとして発信するのは極めて危険だ。企業や個人の信用がガタ落ちとなり、大炎上を起こしかねない。

AIの嘘は「悪意」ではなく「構造的必然」

AIが嘘をつくのは、意図ではなく設計思想によるものだ。 ネット上に出回っている既存の書き込みから“最もそれらしく見える答え”を合成する仕組み上、「事実らしさ」>「事実性」が優先される。つまり、AIの出力は「もっともらしさの最適化」によって生まれた言語であり、その内部には“事実の保証”という概念すら存在しない。

人間の脳の弱点を突いてくる

人間は、自分の記憶や既存の知識と“なんとなく整合する情報”を簡単に信じてしまう。「確証バイアス」という心理的傾向だ。AIはここを突くように、曖昧な前提にも綺麗に合致する“整ったフィクション”を生成する。読者は嘘に気づきにくい。つまり、AIの嘘はただ危険なのではなく、人間が本能的に信じたくなる形で生成されるため危険なのだ。

常に根拠や出典源を求める

AIに対して常に根拠や出典源を求めなければならない。 AIが示したソースを自ら読み、嘘を修正する必要がある。

知識労働の必須基盤

AIは嘘を見抜く能力は「AIリテラシー」という呑気は話ではなく、 知識労働や知的生活の必須基盤だ。

簡潔な表などで視覚化

AIの文章をそのまま使っても、読者にとって価値がない。「それなら自分でAIに聞いたほうが、手っ取り早い」と思われてオシマイだ。視覚的に訴える「表」や「図」などを駆使しないと、存在価値がない。しかも、AIが作るようなごちゃごちゃした見づらい表ではなく、シンプルなものでなくてはならない。

読むのでなく、見てもらう

読者の脳は、文章の読解よりもパターン認識を圧倒的に得意としている。 重要なのは、情報を読ませるでなく、見るだけで理解させる技術だ。 これは文章術というよりは、人間に対する理解力の問題だ。 この点では、AIより人間のほうが優れているはずだ。